2013年05月
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2013/05/01(水) 14:53

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 27日(土曜日)
 「全ての拉致被害者を救出するぞ!国民大集会」に出席する。(写真参照)
  北朝鮮の金正日が拉致をみとめ、五人の被害者が帰国してから11年目を迎えた。
  家族会、救う会、拉致議連を中心に1000名余が結集して、救出を誓いあった。
  安倍総理も「政府が全力で拉致被害者の救出のために努力を続ける!」と決意を語った。
  

  28日(日曜日)

 政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」に出席する。
  天皇、皇后両陛下ご臨席の下、昭和27年のサンフランシスコ講和条約発効から61年を迎えた意義を噛み締めた。
 安倍総理は式辞の中で「本日を大切な節目とし、未来に向かって希望と決意を新たにする日にしたい。」と述べ、47年まで本土復帰が出来なかった沖縄には「人々が耐え、忍ばざるを得なかった戦中、戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は意味をなさない。沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだ。」と訴えた。

2013/05/04(土) 08:23

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 2日

 祖父が眠る福島県只見町へ
墓参りに行く。
父は 只見町の山奥の貧しい農家で生まれた 。               祖父は子供たちへの教育は熱心で、父は福島師範(当時は学費免除)へ進み、小学校の教師になった。
 父が中央区の泰明小学校の教師をしていた時に、江戸川区の素封家の娘 だった母と結ばれ、大西の姓を名のるようになった。 
 父は、教師を経て会社を起こし実業家に転身した。
会社が軌道にのった頃、父は、地域の方々に推されて江戸川区議会議員になる。
 しかし、わずか2年後に、突然の病に倒れ帰らぬ人になった。
私が小学校五年生の時だ。
  

  祖父は、深い悲しみに耐えながら、遺された母や孫達を励まし続けてくれた。


 祖父の墓前で、心から感謝を捧げ、衆議院議員に当選したことを報告する。
  (写真は祖父のお墓を守る叔母と私達夫婦)
                                                            

2013/05/04(土) 14:49

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 3日

 父は「会津魂」をこよなく愛した。
父は、生前、酒に酔うと「白虎隊」を歌い、舞った。
 祖父のお墓参りの帰りに、小峰城(白河城)を訪れる。
この城は戊辰戦争最大の激戦地となった。
 江戸から明治に変わる激動の時代に、会津藩は「奥羽列藩同盟」を率いて、薩摩、長州などの「官軍」と戦ったが、「朝敵」の汚名を着せられ、兵力と装備に勝る官軍に敗れた。

 「会津魂」は、こうした苦闘の歴史の中から、どんな困難があろうとも「義と忠を尽くす」という魂を培ったものだろう。

2013/05/04(土) 15:43

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 江戸川区花の祭典に出席する。
江戸川区は園芸農家も多く花どころとして長い歴史と伝統を誇っている。 
 園芸組合の顧問を長くつとめている私にとっても楽しい一日となる。
(写真は祭典会場での私達夫婦と次男・洋平)

2013/05/07(火) 14:28

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 丸川たまよ参議院議員と連休中に街頭国政報告を行う。
 区内の主な駅頭を中心に遊説を行ったが、区民の関心は高く多数の方々が私達の訴えに耳を傾けてくれた。
(写真:西葛西駅頭、新小岩駅頭での遊説)


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