2010年03月
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2010/03/01(月) 23:21

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 冬季五輪バンクーバー大会は昨日閉会式が行われ、7競技86種目で熱戦を繰り広げた17日間の祭典を閉幕した。
 日本が獲得したメダルは、銀3、銅2の計5個で、国別メダルランキングは20位に終わった。
 
 一方で、韓国は日本の半分の46選手で金6個を含め14個のメダルを獲得し、中国は金5個を含め14個のメダルをとり、目覚ましい活躍をした。

 アジアのライバルの背中がますます遠くなり、政治、経済、文化の分野では、日本の優位が日々揺らいでいる。

 あらゆる分野で、日本の在り方が問われている。
 頑張れ、日本!

2010/03/03(水) 17:18

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 平成22年度予算案が、昨日、衆議院を通過し、年度内成立が確実となった。
 しかし、鳩山首相や小沢幹事長の政治資金疑惑は未解明のままで、更に、北海道教職員組合の不正献金問題では逮捕者がでた。
国債依存体質や重要施策の財源問題などの論議はいっこう深まっていない。

 予算案には多くの問題点が指摘されている。
 公共事業が2割も削減され、景気が低迷する中、景気回復の施策が全く見えて来ない。 マニフェストに盛りこまれた目玉施策は、軒並み後退したばかりか、その財源は、予算の無駄減らしでは確保出来ず、国債の大量増発に頼らざるを得なくなった。
 
 自民党の「口利き政治」や「利益誘導政治」を厳しく批判してきた民主党は、予算編成過程では、小沢幹事長主導で、都道府県や団体への露骨で強引な利益誘導をした事が明らかなっている。

「夏の頃、やらせてみようと、悔やむ今」

2010/03/04(木) 17:06

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タイ国・クンユアム旧日本軍博物館を訪ねて2月16日〜24日

T 昨年の冬、タイを訪れたおりに、クンユアムに旧日本軍博物館があることを聞き、学生時代からの友人達と一年がかりで計画をした。
 私は、出発の前日に不覚にも肋骨を折ってしまい、恐る恐るの旅立ちだ。
 
 16日の深夜バンコックに着き、翌朝チェンマイに向かう。
 高校時代からの友人・加藤君がタイで旅行会社を経営しており、彼の愛車トヨタ・カムリ(タイでは高級車)が我々の足だ。
タイの道路はよく整備されており700キロ余(東京‐広島間に相当)を走破して、夜タイの古都チェンマイに着く。

 翌朝、クンユアムに向かう。
目的地までは、山や谷を越え2百キロ余り、途中、山岳民族の売店や食堂などで、貴重な経験をする。 
 
 クンユアムは、タイの北西部に位置し、ミャンマーと国境を接している。
 大東亜戦争当時、ビルマ作戦における重要な兵たん基地の一つだった。
 戦争末期、無謀なインパール作戦の壊滅的な敗北によって、多くの日本兵が敗走してきた。
 この地では、7000名に上る日本軍将兵が命を落としたと言われる。
傷つき、飢え、病にかかった将兵はクンユアムの人々の献身的な介護を受けた。

2010/03/04(木) 18:39

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U
 クンユアム旧日本軍博物館は、平成8年に、当時クンユアム警察署長をしていたチョムタワット氏によって創られた。
 彼は、旧日本軍兵士の遺品がクンユアムの人々によって大切に保存されているの目にした。
 これらの遺品は、日本軍兵士が食糧などとの引き換えや、世話になったお礼に置いていったもので、地元住民と日本軍兵士とのあいだに、友情の交流があったことに感動した。 彼は、これらの遺品を展示する事によって、戦争の悲惨さを後世に伝え、傷ついた敗走兵をあたたく迎えたクンユアムの人々の心を、日本とタイとの友情の証として、両国の友好を深めたいと博物館を創った。

 博物館には日本兵の飯ごう、武器、骸骨のように痩せ衰えた兵士の写真などが展示されていた。
込み上げる涙を抑えることが出来なかった… 

 私達は慰霊碑に花を供え、博物館の維持費に協力させて頂いた。

 博物館を創られたチャムタワット氏は、天皇、皇后両陛下がタイをご訪問のおりに、感謝のお言葉をいただき、平成19年春には、旭日双光章を受章した。

2010/03/04(木) 20:39

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V
 大東亜戦争末期、クンユアムにたどり着いた日本軍兵士は、インパール作戦に敗れた兵士達だった。
 インパール作戦とは、昭和19年3月に開始され6月末まで戦われた、インド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことだ。
 補給線を軽視した杜撰な作戦により、戦闘による死者よりも、飢餓やマラリヤなどの病気による死者が多数にのぼった。
92000人が作戦に参加し、戦死38000人、戦病死40000人以上(そのほとんどが餓死者であった)という悲惨な結果となった。 
 あの戦争で日本軍は太平洋の島々やアジアの各地で三百万人以上の貴い命を失った。
 我々日本人は、国や家族を守るために、命懸けで戦った人々のことを、決して忘れてはならない。
 タイ国元首相プラモード氏は次のように日本への感謝の言葉を述べている。
「日本のおかげでアジア諸国は独立した。日本というお母さんは、難産で母体は傷ついたが、生まれた子供達はすくすくと育っている。今日東南アジアの諸国民が、米英と対等にはなしが出来るのは、我が身を犠牲にして英米と戦った日本があったからだ…」


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