2011年09月
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2011/09/02(金) 17:57

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 野田新内閣がスタートした。《写真参照》
 実務型、派閥均衡型の「背水の陣内閣」のお手並みを見守りたい。



 最近の雑誌で政治指導者や国民のあり方を説いた論考を幾つか紹介したい。


 山内昌之・東大教授(歴史学者)は『グッド・ガバナンスをいかに実現するか』の中で、指導者は、「自分自身を為政者だとする責任意識をもち、教養と知識を蓄え、羞恥心をもち、生活、仕事、蓄積を絶えず反省すべき存在でなければならない」
 山内教授は国民自身にも問題があると言う。「国民やマスコミの多くが権力者に国民の日常感覚と家庭生活と同じ目線を求めるあまり、『選良性』を求めなくなったからこそ、菅氏のような人物が首相に就任することが許された。そこには、エリートが謙虚さを失い尊敬を受けなくなった一方、有能な人、努力した人が相応の成功報酬を受け取ることを許容しない国民の『嫉妬』がある。」と指摘している。


 高安健将成蹊大学教授は『新しいゲームのルールが求められている』の中で、国会議員の資質を問うている。
「首相選出を議員に任せるのは、議員が同僚として長く首相候補の人間性、判断力、指導力を近くにいて知り、評価出来ると信頼するがゆえであり、就任1年足らず首相に幻滅する議員はみずからの判断力の欠如を公言するに等しい。」と議員に対して厳しい批判をしている。



 政治に携わる者は、これらの考え方を等しく噛み締めなければならないと思う。

2011/09/03(土) 23:26

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 野田首相への外国人からの献金が明らかになった。 産経新聞の調査によると、在日大韓民国民団関係者ら在日韓国人2人から計30万円の政治献金を受け取っていた。


 外国人政治献金の問題では、前原前外相が辞任し、菅前首相も国会での厳しい追及を受け、釈明におわれた。
 「野田首相お前もか!」と言わざるを得ない。



 菅前首相は、北朝鮮拉致実行犯 と関係のあった団体に高額な政治献金をしていたことも明らかになっている。又、首相辞任直前には朝鮮学校の高校無償化適用手続き再開を指示した。



 こうした、民主党幹部の行動は、日本の国益をないがしろにし、外国の利益を擁護する『売国奴』と言わざるを得ない。



 野田新内閣・民主党政権では、日本が危ない。

2011/09/06(火) 21:30

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 4日日曜日
 
 松下章夫後援会旅行会に参加する。松下さんとは区議会時代から常に変わらぬ同士。もう、四十年近い盟友だ。 後援会のみなさんとも長いお付き合いをいただいている。
 雨模様の中、伊豆の堂ヶ島温泉で楽しい一時を過ごす。
(写真参照)
 

5日(月)

 伊豆の帰りに伊東のピボクラテックサナトリウムに石原院長先生を訪ねる。
 石原先生は、東洋医学を取り入れた独自の食事療法、運動療法指導で石原都知事始め各界要人からも厚い信頼を集めている。    
伊東の施設は、「ニンジンジュース断食」を実践し、健康増進を求める人々で連日満員。
 私は、以前、先生のご指導で五キロの減量に成功し、それ以来、朝はニンジンジュースを飲むことを続けている。

(今日からスマホでメールを打っている。ー新システムへの挑戦を楽しんでいる。)

2011/09/07(水) 16:25

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 6日(火)

 陳情処理におわれる。
 夜は、東倫理法人会の役員会に出席、須賀精二会長を中心に意見交換。
 途中で懐かしいゲストが登場する。清水元江戸川区教育長が友人と合流し、いつの間にかカラオケ合戦で盛り上がる。
清水さんとは、私が28才で区議会に 初当選して以来の付き合い。
ついつい時をわすれる。


 7日(水)


 9月のホームページのメッセージ  を更新する。愛犬二匹も出演!是非ご覧下さい。      
 
 都議会に入り陳情処理。
担当の局長や部長が自民党の控え室に飛んで来てくれる。
現役時代と変わらぬ対応が心強い。                         

2011/09/09(金) 16:30

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 9日(金) 
 母の弟にあたる大西庸皓氏が亡くなり、昨夜の通夜と今日の告別式に参列する。
 

 大西の叔父は、父を早くに亡くした私にとっては父親のような存在だった。

   叔父は、父が創業した大西鋼業 を受け継ぎ大きく発展させた。私の母が亡くなるまで役員報酬を欠かさなかった。
 私が都議会選挙 に落選して浪人中には、大西鋼業ビルのワンフロアを使わせてもらい、勝利の原動力になった。
  大西鋼業は、10年程前に、急激な経済構造の変化に対応できず、廃業を余儀なくされた。        
   叔父は、充実した余生を過ごし、84歳の天寿を全うした。合掌
 
 死のまぎわまで、私の行く末えを心配していたという。 
 「遅れても 遅れても 君に誓いしこと 忘れめや」          


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